アフターダーク2.0

2002-2003年にかけてテキストサイトヲチサイト「ダークマター」を運営していた濁の出涸らしブログ。基本、更新頻度低め。

ブログ再開するのに言い訳は必要か

再開宣言

ブログとは個人的なものだし、そもそもほとんど読まれていないブログの休止とか再開とか自意識過剰だとも思うし。

でも、書きたい事が増えてきたから、とりあえず再開宣言します。つか、そうでもしないと再開のとっかかりが掴めない。

つっても、今日明日更新という訳でもなく。

開いた時間が有ればといった感じ。

 

ついでに言うと、Twitterとかはてなブックマークとか、限られた文字数で語る世界の限界を感じていて。

既にはてなブックマークにコメントしていないけど、Twitterも厳しさを感じる。そもそも、140文字以内の文章を重ねても会話以上の何かになり得ない。議論よりも罵倒合戦になっている。

ここら辺はまた改めて何か言いたい。

 

今後、noteとかも検討しますが、とりあえず再開。

以上、やっぱりブログの再開には言い訳が必要でした。

 

ネットウォッチは正義でも悪でもない

またも一年ぶりの更新

どうも、年一更新の濁です。

と、ピンポイントな層向けのギャグで始めようしたのですが、ここ数週間の衝撃的な事件が度重なり、どうもそんな気分になれない状態です。

そもそも、blog更新は義務ではないですし、Twiterやはてなブックマークがあるので、言いたいことはそこで言えるわけで、そもそも更新をしないという選択肢もあるんですけどね。でも、やっぱり短文では伝わらない事もあるのでblogが必要。

誰に伝わるのかは別として、ですが。

 

ダークマターというサイトについて改めて説明

本題に入る前に、手前味噌になるけどもダークマターというサイトについて説明。

今から20年位昔、blogという単語が日本になかった時代、個人サイトのカテゴリーの一つ「テキストサイト」が流行りました。

当時、人気テキストサイトが次々生まれ、次世代のスターになるために新たなテキストサイトを立ち上げる人たちが急増しました。

人が増えていくうちに、様々な軋轢やローカルルールが生まれました。

その争いはネットバトルと呼ばれ、一部の好事家が愛でるものでしたが、それらの騒動をまとめるサイトも開設されていきました。

テキストサイトのウォッチサイトに限っても「アルヲの独り言」「Black ash」などが人気を博していました。

その中で2002年6月に私は「ダークマター」を立ち上げました。*1

2ちゃんねるのネットWatch板のスレッドをまとめた形式が新鮮だったのか、ある程度のアクセスを集めました。

2003年7月に更新終了。一年間の命でした。

以上。(雑だな)

ネットウォッチは好奇心

そんな、ダークマターを始めたのは、「ネットの秩序を守るために正義の鉄槌を下す」といった善意でもなく、「まとめサイトを立ち上げて、世論を誘導するぜ」という悪意でもなく、好奇心からでした。

テキストサイトのバトルって面白いな、でも何で揉めているのか分からないな。じゃあ自分でまとめてみようという、単純な好奇心。

なので、ネットウォッチの善悪に対して無頓着でした。そのためアクセス数が増えるたびに様々な反響がありました。

 

2ちゃんねるから出てくるな」

「平和なテキストサイトを乱すな」

「騒動をまとめてもらってありがたい」

「ぜひ、この騒動を取り上げてほしい」

「こんなサイトを運営しているのは最低の人間だ」

ダークマターの報道は中立的だ」

「大手サイトの管理人は怒っているぞ」

 

振り返ってみれば、本人たちが嫌がるであろう事も取り上げた訳で、被害を受けた方からすれば悪の行為と捉えたでしょう。

また、記事に間違いがあればすぐに訂正し謝罪していたので、誠意を持っていると評価した人もいたでしょう。

なので、ダークマターというサイトに対する評価は閲覧者に任せるしかない。毀誉褒貶と言えば偉そうですが、それは受け入れるしかないと覚悟を決めていました。だって、そういうサイトを運営していたのだから。

 

ただ、当時は正直、世論を煽ってしまうのではないかという不安と隣り合わせでもありました。

一方で、こいつは許せないと暴走してしまった時期もありました。 

正直、自分の中でぶれてしまった時期もありました。「自分はネットジャーナリストだ」と正当化したり、「様々なサイトを潰しているのではないか」と卑下したり。

そういった中で、自分の中の評価軸として基準を設けました。それは「ネットウォッチとして面白いか」でした。

そう決めてからは、サイトの運営は楽になりました。自分は「正義の徒」でも「悪魔」でもないのだから。

まあ、「面白さ」を基準に騒動を取り上げるのは上品な趣味ではないとは思いますが、そう考えていたからこそ、大きな炎上*2に巻き込まれることも無く、インターネットの有名人として祭り上げられ、知識も見識もないのに知識人ぶる立場にならなかったので良かったと思います。

Hagex氏について

こんな記事を書いたきっかけはHagex氏の刺殺事件。

この事件について、自分が何を言うべきかと考えるうちに日時が過ぎていってしまいました。

そもそもほぼ接点がない氏の事について、今更何を言うのか。発言の資格があるのか。

ただ、Hagex氏に一方的なシンパシーを感じていた自分は、この事件を他人事として捉えることができなかった。だから、ネットウォッチという行為の是非について、少しだけ語ってみました。

Hagex氏はネットウォッチという行為に対してどう考えていたかはわかりません。一度お会いしたかったと、今になって思います。

最後に

Hagex氏との唯一の接点と言えるのは、去年の今頃。小島アジコ氏の記事についた、Hagex氏のコメント。

テキストサイト(あとはてなダイアリー)の思い出 - orangestarの雑記

どうも、ダークマターです/こっちが本物だよ→http://dark.hateblo.jp/entry/2017/06/23/075044

2017/07/01 12:49

些細なギャグだったのかも知れないけど、今となっては「ダークマターです」と名前を出してもらって嬉しかった。そして苦しい。

*1:元々は2ちゃんねるのネットWatch板のスレッドが落ちた事件があり、復活したスレッドをまとめた事がきっかけ。

*2:この言葉が定着するの少し後ですが

ダークマターが終わってから14年目のただの日記

テキストサイトとかのよもやま話

ARMSは面白いけど疲れるし、難しいしなかなか勝てないけど面白いよだとか、アライアンス・アライブ買いましただとか、ゼルダDLCが配信されたから遊びまくるぞだとか、今月のSplatoon2楽しみだよねとか、ドウデモイイ日記を書こうとしていた濁です。いかがお過ごしでしょうか。

 

今年も既に半分過ぎた事に気付き愕然とした一日でしたが、はてブを眺めていたらこんな記事が目に入りました。

懐かしいよな、あの頃は。

ダークマターの濁の名前なんて、歴史の彼方に消え去ったものかと思いましたけど、まだ覚えている方々がいらっしゃるだけでありがたい事です。

文中でid:hagexさんやid:topisyuさんの名前が出てますけど、中々に恐れ多い。私など、たまたまテキストサイトの揉め事ブームの際にまとめサイトを立ち上げて波に乗っただけの男です。はい。

 

実際、あの頃はネットウォッチ板が盛況で、テキストサイトという縛りもあり、揉め事情報の収集も楽だったけど、今のblogや各種SNS全盛の時代、生半可な知識や気持ちで言及しては自らを炎上させてしまう。そんな中でウォッチ続ける諸氏には尊敬の気持ちしか無いですよ。

考えてみればテキストサイトの騒動の大半はリンクページのサイトコメントがどうのこうの、裏サイトのルールがどうのこうの、オフ会の馴れ合いがどうのこうのだの、今思うと微笑ましいものだった。だからこそまとめる方もある程度まとめやすかった。でも、当時はそんなどうでも良い事をまとめたサイトに人が集まった。どうでもいい事だからこそ本気で怒っていたんだろうな、私を含めたテキストサイトの人たちは。

ダークマターを再開しようと考えた事もある

昨今の炎上騒動を眺めながら、ふと、久しぶりに騒動をまとめてみようと考えてしまう時もある。だけど、やっぱり難しい。

そもそも他人の揉め事など気軽にまとめるものじゃない。物事をまとめるには知識と覚悟が必要だ。逆に言うと知識と覚悟と時間と何かのきっかけがあれば、ダークマターを再開するかも知れない。

なぜなら、今も昔もサービスの名前や規模が変わっただけで本質は変わってないんじゃ無いかなと考えているから。人間が文章を紡いでいるのだから変わりようが無い。

だからこそ、喧嘩が始まり合図に有象無象が集まってきていつの間にか解散する。テキストサイトの騒動も、blogの喧嘩も、Twitterの炎上も本質は同じ。パクリ騒動だとか何回繰り返されてきた事か。自分がそう思っているだけかも知れないけども。

 結論みたいなもの

とまあ、id:orangestarさんに名前を出してもらって、何か記事を書かなきゃいけないなと思いつつ、ドウデモイイ日記に落ち着いてしまいました。これだけの文章にどれだけの時間を掛けているのやら。

まあ、元々が出涸らしblogなんだし、これくらいが良いのかもと、テキストサイトお約束の自虐ネタで〆ようと思います。それでは。

久々に更新

テキストサイトがあった時代

最近、テキストサイトに関する話題が浮かんでは消えていく。

テキストサイトの最盛期は20年程前だけど、今の時代の若者たちから見て、新陳代謝が早いネットの世界では有史以前の感覚なんだろうな。

今のブログの時代と比べていい時代だったかどうかは判断できないし、個人的には同じレベルだと思う。

だけど、今のアフィサイトが当たり前の時代と違って、異物が少なかったとも感じる。まあ、脳死だとかどうしようもない人も居たけど。

 

来月はダークマターのサイト開設15周年だけど、特にやる事は無いでしょう。

テキストサイトの時代を生きて居た人たちも、ダークマターの事は忘れているだろうし。

こっそりとこのブログを再開しようと思います。

 

2016年2月8日の雑記 風邪引いてました

インフルエンザではないですけど、身体がだるく鼻も詰まって苦しい週末でした。そんな状態なのでゲームも何もできない、なんて事もなく、スプラトゥーンはやってました。
いや、少しだけ遊ぼうと思ったらずるずると。鼻がずるずるいってるだけにって、やかましいわ!

そう言えば、次回のフェスは何になるんでせうね?
バレンタインデーに合わせてきのことたけのこの最終戦争なんて噂もありましたが、回避された様で何より。

そうこう言っているうちに、シオカライブの公式動画来てました。
何度観ても、あの時の感動がよみがえる。至高の一日でしたよ。

2016年2月4日の雑記 ステラグロウの感想みたいなもの

そろそろ、先週のシオカライブの興奮から覚めてきたところ。それでも、あの日の動画をリピートする日々で、日常生活に戻れるか心配なのですが。

ゲーム近況だ!

それはともかく、スプラトゥーンは日課として続けてますが、それ以外にも幻影異聞録♯FEとステラグロウを主に遊んでいます。
幻影異聞録は以前にも軽く触れましたが、ステラグロウは6章まで進んだところ。いわゆるギャルゲー寄りのゲームの印象があったので、ストーリーやシステムにはあまり期待していなかったのですが、良い意味で裏切られました。
 

ステラグロウの感想みたいなもの

物語ですが、随所でコメディ要素を挟みながらも、全体的には重いシーンが展開されるのですが、それを魅力的な演出やムービーで盛り上げます。と言うか、最初はかなりシリアスで重いです。ネタバレになりますが、魔女たちとイチャイチャしたいという軽い考えだと、打ちのめされる事請け合いです。
そのストーリーを固めるキャラクターは、メインキャラもサブキャラも皆、第一印象とは違う一面を見せてくれる事が多く(真面目に見えてオタク気質をもつ・軽薄に見えて大きなトラウマを抱えている等)それが魅力につながっています。
ヒロインである魔女たちはその要素をさらに深めており、彼女たちは自らを縛っている心の鎖を隠し持っており、主人公はそれを交友の中で解放していくのが、テーマの一つとなります。
心の鎖を解いていく事によって、彼女たちの魅力をさらに知る事になります。ポポ、可愛いよポポ。

肝心のバトルシステムも良い感じ。
クォータービューのSRPGで、オーソドックスな内容ですが、それぞれのユニットが個性的で役割分担ができており、編成や戦略に頭を悩ませます。キャラごとにスキルがあり、戦況を左右させるのですが、特筆すべきは魔女たちのもつスキル「合奏」。
魔女が歌い(本当に、ボーカル入りのBGMに変わる)マップ全体に効果があるこのスキルは簡単に出せないものですが、それだけに戦局を一気に変えるポテンシャルを秘めています。それだけに、いつ出すかが重要。実際に上手く決めた時は、ものすごく気持ちが良いです。

ただ、悪いところもあって。と言うか、これだけは改善してほしい部分ですが、テンポが少し悪いんですね。
ダメージエフェクト、ダメージ表示、特殊効果といった一連の流れを一つ一つ表示していくので、非常にテンポが悪い。せめて、ボタン長押しで早送りなりスキップできれば良かったのですが。
ま、思考型のゲームなので、致命的なレベルではないのですが。

そんな訳で、手放しで薦められる訳ではないですが、個人的に楽しめているゲームです。

シオカライブは初音ミクから続く道

シオカラーズのシオカライブに行ってきたよ! ニコニコ闘会議2016 - アフターダーク2.0
前回のシオカライブの記事ですが、初音ミククラスタの方からの感想をいただきまして。自分たちが過去に受けた衝撃と同じ反応でニヤニヤしていると。
「ああ、それはそうだよな」と、今更ながら思い至った次第。

今回のシオカライブの技術は、おそらく初音ミクのステージと同じ技術を使っているのだと思います。当時もセガの変態技術だと話題になってましたが、初音ミクにそれまで思い入れのなかった自分は、外野の立場で「すごいなー」としか思わなかった。
でも、実際に"目の前で見る"立場になってみると、この、衝撃と感動に心臓を掴まれる感覚というのが実感できて。
いや、これは言葉で伝わらんわ。

で、自分は思うわけです。
初音ミクと彼女を支える人達が切り拓いた道があったからこそ、シオカライブは成功したのだと。
初音ミクの前例がなければ、今回のシオカライブの形は変わっていたでしょう。もしかしたら、ライブそのものが無かったかも知れない。

そんなわけで。
次回のシオカライブを期待するとともに、HATSUNE MIKU EXPO 2016 Japan Tour(初音ミクエキスポ2016ジャパンツアー)にも行ってみようかなと、ふと考えている自分が居ます。